月例護摩祈祷
万治4年(1661年)に徳島藩五代藩主の蜂須賀光隆公が鷹狩りをされた時、鷹が丹頂を追い、紀州の方に飛び去ってしまいました。そこで当時の住職であった海範阿闍梨に観音堂での「護摩祈祷」を仰せつけられました。


すると翌日、鷹と丹頂は御拳に帰り、正に御願成就を達成されたのであります。それ以来、藩の御代々様が「御武運久」と「御鷹安全」の「御祈祷寺院」として正徳2年(1712年)毎年五石賜り、更には観音堂修復の為の山林を頂戴いたしました。
万治4年(1661年)に徳島藩五代藩主の蜂須賀光隆公が鷹狩りをされた時、鷹が丹頂を追い、紀州の方に飛び去ってしまいました。そこで当時の住職であった海範阿闍梨に観音堂での「護摩祈祷」を仰せつけられました。


すると翌日、鷹と丹頂は御拳に帰り、正に御願成就を達成されたのであります。それ以来、藩の御代々様が「御武運久」と「御鷹安全」の「御祈祷寺院」として正徳2年(1712年)毎年五石賜り、更には観音堂修復の為の山林を頂戴いたしました。